Monday, April 11, 2011

(7) 3月21日 うつくしま福島 

母の生まれた家(いわき市)

私の母は福島県いわき市の出身です。親戚が宮城県と福島県にいます。

宮城県気仙沼市には従姉が住んでいます。
その従姉は津波で家をさらわれ、娘たちと避難所にいます。
従姉の旦那さんは仕事中でした。ずっと行方不明でしたが、地震から4日後、他の避難所に無事にいることが分かりました。

いわき市にいる母の姉は一人暮らしです。近くに住む娘の家が地震で崩れ、避難所に入りましたが今は福井県にいる娘のところにいます。

母の生まれた家には兄である伯父が住んでいます。家はいわきの海の近くでしたが、津波の被害は受けませんでした。でも現在は、放射能の影響を避けるため、新潟の孫のところにいます。伯父は自分の家以外では眠れないので、家に帰りたがっています。

伯父と同居している息子(私の従兄)はJR東北で車掌をしています。地震の時は勤務が終わって、電車で帰る途中でした。電車が途中で止まったのが、海の近くだったので、大急ぎで乗客と避難し、そのあとヒッチハイクで家まで帰りました。

その娘は海の近くの病院で働いていました。津波が来るのが窓から見え、必死で逃げたそうです。病院は壊滅的状態で彼女は今、茨城に避難しています。

従兄の息子のところには2月に男の子が生まれたばかりでした。奥さんが出産のため実家にいたので、彼は地震の時、一人で家にいました。逃げようとして車に向かった時、駐車場の地面が目の前で割れたそうです。
彼は今、奥さんの両親と一緒に私の家の近くに避難しています。
「地震と津波だけだったら、頑張れたけど、原発の事故が起きたから逃げてきました。私たちはいいけど、こんなに小さい体に放射能を浴びたら、どうなっちゃうんだろうって、毎日、毎日、不安になる一方だったから…」とお嫁さんは赤ちゃんを見ながら話しました。

伯父が今、身を寄せている孫は福島の原発で働いていました。おととし、問題が起きた柏崎の原発を応援するため転勤になりました。今回も「応援に行かなくちゃいけないだろう」と覚悟を決め、3月20日から福島の原発で仕事をしています。

私の親戚は皆無事でした。でも今はそれぞれに家を離れています。いつ戻れるか、分かりません。戻れたとしても、今年は田植えも出来ないでしょう。

私は小学生の頃、毎年、夏休みを伯父の家で過ごしました。
福島がこんな風に世界で有名になってしまい、とてもつらいです。
でも、もう一度、伯父の田んぼで蛍を追いかけたり、カエルを捕まえられる日が来ると信じています。

とおやまあつこ

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